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じじ・ばばの、今しかできない挑戦の記録です。



会社方針

きっかけと準備

きっかけ

私は10年以上前から「南国暮らしの会」というNPO 法人の組織に所属しています。

その会に入会した目的は、リタイア後の第二の人生を、希望をもって自分流に豊かに暮したいと思ったからです。

専門的知識を持たれている多くの会員の方々から、旅のノウハウだけでなく、最新情報等を次々に発信していただき、当初期待した以上に毎日をわくわくするような気持ちで送ることができています。

会の名称は南国暮らしの会ということで、はじめは東南アジアでのロングステイを意識しての組織でしたが、今ではそれにとどまらず、その会で学んだ旅の知恵を活用して、会の皆さんは幅広く世界中を飛び回っておられます。

今回も、会員の「Kさん」が体験発表された「アメリカドライブ旅行」にすごく感動し、1枚の写真(ザ・ウェーブ)が目に焼き付いて離れないところからスタートしました。それまで経験した旅とは全く異質で、ヨーロッパ(好きなスイス)と比べると、スイスが「静」でアメリカは「動」って感じ、刺激的でした。

お話を聞いたのが、25年10月20日、一回も行ったことがない土地をドライブするなど、まったく無理な話、と何度もあきらめようとしましたが、拭い去ることができず、とうとうこのままでは年が越せないと、12月の末に一大決心しました。

幸い、体験されたKさん(女性)は同じ町内の人で、その日以来、作成されたたくさんの写真集を見せてもらいながら、現地の情報提供や観光コースの選定等いろいろとご協力いただきました。この方なければたぶん今回の、私にとっては貴重な挑戦はなかったと、本当に感謝しています。

それから6か月かけて準備をしていく時間は、たぶん老眼鏡の奥に隠れた瞳は夢見るようにきらきらと輝き、白髪に覆われた頭の中は少女みたいに純粋で、胸中は終始ドキドキときめいている気分・・・(ちょっと大げさ)。

団塊世代一年生の私、中学から高校生時代、アメリカンポップスにのめりこんで、勉強もせずにラジオの深夜放送「ビルボード」のヒットチャートを聞いていました。ノートにはチャートされたヒット曲の順位を逃さず記録していました。今思うと、それくらい勉強の方に気を向けてたら、今頃は・・・なんて、遅ればせながら後悔しています。

「ルート66」の一部も今回は走るし、テレビで見ていた西部劇の舞台にも行く、ということで、青春時代へタイムスリップ、いい時間でした。
一直線に続く長い道を走りながら聴こうと、カントリーソングやアメリカンポップスをCDにたくさんコピーしていったのに、レンタカーにデッキが備わっておらず、願の一つは叶いませんでした。


きっかけ

アメリカは広い。隅々まで公共交通機関が届いていない。レンタカーで行くしかない。

旅のスタイル

レンタカーで夫婦二人旅は・・・、年金生活の身、経済的にも、まさかの不慮の事態に遭遇した時にも少し不安。
同じ「南国暮らしの会」のメンバーで、気心が知れた友人夫妻をお誘いすると、二言もなくOK。これでまず私自身が運転する場面はないだろうと一安心。

一方でいろいろな情報から外国のカーナビは日本ほど詳しくなく、使いにくいということがわかりました。それならばとWEBで調べて、カーナビを借りないでgoogleマップのオフマップ活用で何とか行こうと決めました。
本音はカーナビ料金の節約、ケチの私はこれが一番だったのかも。かなり不安はあったけど。
1か月かけて、目いっぱい楽しんで来よーっと。

コースの選定

Kさんからのアドバイスと「地球の歩き方」を参考にしながら、ラスベガスを起点としてのグランドサークルを回ることにしました。主な観光地での滞在日数もKさん情報。しかし、最大の希望「ザ・ウェーブ」の抽選参加をどの行程で何日とるかが一番の難題でした。WEBでの抽選申し込みは4か月前で月単位、1か月間の旅行を2か月にまたげ、抽選申し込みが2回できるようにとあれこれ考えました。同じ滞在地では面白くないし、無駄にしないように、とこれにかなり手間取りました。万一抽選に当たれば、行程変更もあり、として基本を作りました。
6月も7月も抽選倍率は50倍以上で、結局落選。現地での3回挑戦が神頼みとなりました。

航空券

コースが大体決まった時点で航空券の手配。料金的にはどの航空会社も大差なく、マイレージをためているユナイテッド航空を選び、エクスペディア経由で予約しました。
福岡発成田経由、サンフランシスコで入国し、ラスベガス降機です。帰りは関西空港経由でした。

ここで一番心配したことは、サンフランシスコでの乗り継ぎ時間。1時間30分しかない。ここでいったん預けた荷物を受け取り、入国手続きを済ませて再度荷物を預けないといけない。情報によるとサンフランシスコの入国手続きはかなり混んで時間がかかるということ。予定した便に乗れないことはよくあることらしい。

さて困った。ユナイテッド航空に問い合わせると、乗り遅れた場合、次の便に空席があれば次の便で、なければその次で、ということ。4人が一緒に同じ便に乗れるという保証はないということでした。

そのような事態になった時も想定して、ラスベガス空港に別々に到着した場合の待ち合わせ場所にハーツレンタカーの受付を決めました。国内なら携帯電話で問題ないんだけど。
それにしても、ユナイテッド航空はフライト変更のメールが多かったです。

ホテルの予約


フライトの予約も済んだ。次はホテルの予約。

国立公園内のホテルはかなり前でも取りにくいらしい。どうしても泊まりたいホテルもあり、地球の歩き方に掲載のアドレスからメールしました。モニュメントバレー、グランドキャニオン、デスバレー、ヨセミテは代理店を通さずに直接、あとは主にエクスペディアのサイトから申し込みました。

代理店からの予約では、まず料金、WIHIが使えるか、部屋の広さは、ロケーション、
ランドリー施設、キャンセルできるか、口コミ、などを一つ一つチェックしながら選定しました。
これだけでも相当の日数を費やしました。

旅の宿の手配は現地でする、という話もよく聞きますが、私のスタイルは完全に事前予約です。特に行程がはっきりしている時や、泊まる町も決めている時は、現地に行ってから宿探しや予約、チェックイン手続きに無駄な時間を費やしたくないというのが大きな理由。計画さえしっかりしていれば、安心して目いっぱい楽しめる。旅では時間は貴重な財産だと思っています。

おかげで公園内のホテルはヨセミテを除けば希望通りで確保できました。ヨセミテはテント張りしか空きがなく、その後も出発間際までキャンセルがないかサイトを注視していましたが、とうとうだめでした。

代理店からの予約でキャンセルが可能というのはほんとに便利。今回はほんとにたくさんホテルの変更をしました。キャンセルした瞬間に代金の全額返還のメールが来て、自分さえ管理をしっかりしていれば安心。しかしキャンセルしてホテルの変更をする場合の管理は、それはそれは大変なことであることに間違いない。

キャンセルした理由の一番は、googleマップで宿泊地のレストラン情報などを探していたときに、たまたま宿のマークの表示をクリックして、口コミを見て決めたもの。今回コテージ2か所、セドナのB&B、これを予約できたことは大きい収穫だった。

代理店が扱ってないホテル等もたくさんあるので、Mapなどからきめこまかに探すこともこれからの楽しみの一つになって行きそうです。

公園内の宿は1部屋1泊2万円から3万円するなど、年金生活者にはかなり厳しくて、
今回相談して、基本的に1泊1万円を超すところは4人相部屋にすることにしました。
アメリカはベッドがキングサイズかクイーンサイズ2台入っていて、4人まで泊まれる部屋が多く、広さ的には窮屈さはなかったですね。
おかげで、ロケーションのいいホテルに泊まれたにも関わらず、費用的にはかなり節約できました。





出発前日です    2014.06.16

髪を短く切りました。玄関前の鉢植えも庭木の下にみんな隠しました。お隣へのご挨拶もすませました。郵便とガスと水道とヤクルトと新聞を止めました。荷造りがあともう少し、カメラ、iphone、ipad、予備のバッテリーなどをすべて今充電しています。 何とか明日出発できそうです。

今回は1か月間、車とのお付き合いになるので、CDも準備しました。
西部の大地にふさわしい「カントリーロード」や「OK牧場の決闘」などを編集しました。今日は試しにCDを聞きながら作業をしましたが、もうすっかり気持ちはアメリカです。


たまたま遅いお昼ご飯を食べながらなんとなくテレビを見ていたら、懐かしい小林旭の「ギターを持った渡り鳥」の映画を放送していました。若い小林旭はほんとにカッコよかったですね。

そして、宍戸錠と銃の打ち合いのシーンを見ていたら、西部劇とダブってこの音楽もいいじゃん、とこれも持っていこうかな?なんて思っちゃいました。
.
もう午後11時、明日早いし、どうしようかなあ。

すべての洗濯の乾燥もやっと終わったようです。
では次はアメリカから、ごきげんよう、さようなら。


いよいよ2日後になりました   2014.06.15

50年前、自分とは全くかけ離れた世界、アメリカという国に憧れていた。そこにこれから行ってみようとしている。
うわあー、もう、出かける前から心臓がパクパク。団塊おばさんの青春時代は、アメリカンポップスにのめりこんでいたっけ。でもでも、プレスリーの世界に足を踏み入れることができるなんて・・・、ほんといいの?

ルート66もちょっとだけど通るんだよ。西部劇の舞台となっていたモニュメントバレーだって、そのビュートのすぐそばに泊まるんだ。
初めてのアメリカ大陸上陸、に加え、レンタカーで1か月、お父さんたち大丈夫かなあ。何はともあれ、ここまで来たら運を天に任せて、レッツゴー!



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バナースペース





じじ : 1948年生まれ
ばば : 1947年生まれ
生粋の団塊世代。
ベビーブームの 中でもまれて、たくましく育ったつもり。足腰に軋みが来ても気持ちはまだまだ青年でいたい,と思う、じじ と ばば なのです。